中華人民共和国

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中華人民共和国
簡体字: 中华人民共和国
国旗 国章
国の標語:なし
国歌义勇军进行曲(中国語)
義勇軍進行曲
公用語 中国語普通話
首都 北京
最大の都市 上海市(市区人口による)
重慶市(行政人口による)
政府
党総書記[注 1] 習近平
国家主席 習近平
国務院総理 李克強
全人代常務委員長 栗戦書
全国政協主席 汪 洋
書記処常務書記 王滬寧
中規委書記 趙楽際
常務副総理 韓正
国家副主席 王岐山
面積
総計 9,634,057km23位
水面積率 2.8%
人口
総計(2017年 13億9000万[1]人(1位
人口密度 145人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2017年 82兆7211億[2]人民元
GDP (MER)
合計(2017年 12兆6872億[2]ドル(2位
GDP (PPP)
合計(2014年 18兆088億[3]ドル(1位
1人あたり 13,224[3]ドル
建国
人民共和国成立 1949年10月1日
通貨 人民元 (CNY)
時間帯 UTC +8(DST:なし)
ISO 3166-1 CN / CHN
ccTLD .cn
国際電話番号 86
  1. ^ 中国共産党が中華人民共和国を指導していくことが謳われているため、総書記は共産党と国家の最高指導者とされる。
註1: 香港、マカオを含まない。
註2: 中華人民共和国と、面積順位第3位とされるがアメリカ合衆国の面積は非常に近く、それぞれの国土の定義によっては、順位が入れ替わることがある。
中華人民共和国
各種表記
繁体字 中華人民共和國
簡体字 中华人民共和国
拼音 Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó
注音符号 ㄓㄨㄥㄏㄨㄚˊ ㄖㄣˊㄇㄧㄣˊ ㄍㄨㄥˋㄏㄜˊㄍㄨㄛˊ
発音: チョンホワ ジェンミン コンホークオ
広東語拼音 Zung1Waa4 Jan4Man4 Gung6Wo4Gwok3
広東語発音: ツンワー ヤンマン コンウォークオック
日本語読み: ちゅうかじんみんきょうわこく
英文 People's Republic of China
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中華人民共和国(ちゅうかじんみんきょうわこく、簡体字: 中华人民共和国繁体字: 中華人民共和國英語: People's Republic of China, PRC)、通称中国(ちゅうごく、英語: China)は、東アジアに位置する主権国家である。

中華人民共和国は、13億8千万人以上の人口で世界一人口が多い国である。中華人民共和国は、首都北京市を政庁所在地とする中国共産党により統治されるヘゲモニー政党制である[4]

概要

中国大陸において国民党を破った中国共産党により、1949年10月1日に北京市にて建国された。同国は、22、5、北京市・天津市上海市重慶市の4直轄市、大部分が自治的な香港マカオの2特別行政区によって構成される。

同国は、今日では台湾として一般に知られ、分離した政治的実体である中華民国により統治される台湾地区の領有をも主張する。この主張には、台湾省として台湾島を、福建省の一部として金門県及び馬祖島を、海南省の一部として南シナ海で中華民国が支配する島嶼を各々含む(台湾問題[5]

計測方法によるが、陸地面積では世界第2位[6]総面積では世界第3位又は第4位である。同国の地形は、乾燥した北の、ゴビ砂漠タクラマカン砂漠から、多湿な南の亜熱帯の森林まで広大かつ多様である。ヒマラヤ山脈カラコルム山脈パミール高原天山山脈により、同国は及び中央アジアから切り離されている。長さ世界第3位長江及び同世界第6位黄河は、チベット高原から人口密度の高い東の沿岸地域に流れ、古代には黄河文明長江文明を興してきた。同国の太平洋に沿った海岸線は14,500kmの長さで、渤海黄海東シナ海南シナ海に囲まれている。

中国は、繁栄及び衰退の繰り返しだと考えられる過去2000年間の大部分で世界最大かつ最も複雑な経済を有した[7][8]。1978年における改革開放の導入以来、外資流入の勢いが増してゆき、産業構造が政策から転換して、中国は主要経済大国の1つになった(#経済)。2016年時点で、同国は名目GDP及び貿易輸入額のいずれにおいても世界第2位であり(2014年には国際通貨基金世界銀行CIAワールドファクトブックによると購買力平価は世界最大のGDPとなった[9][10][11])、購買力平価GDPと貿易輸出額は世界一位である[12]。同国は核保有国に認められ、でを有する。中華人民共和国は1971年以来国際連合加盟国であり、中華民国の後任として安全保障理事会常任理事国である。中国は多数の公式及び非公式の多国間機構加盟国であり、WTOAPECBRICs上海協力機構、、G20がこれに該当する。中国はアジアの地域大国であり、多数の解説者によりとして特徴付けられてきた[13][14]。なお2017年7月現在、中華人民共和国の世界遺産イタリアについで52件ある。国内には文化遺産が22件、自然遺産が4件、複合遺産が4件存在する。

国名

現在の公式国名は、中華人民共和国 (簡体字: 中华人民共和国; 拼音: Zhōnghuá Rénmín Gònghéguó)  発音である。一般国名は、中国 (簡体字: 中国; 拼音: Zhōngguó) 及び中華 (簡体字: 中华; 拼音: Zhōnghuá) である。

「中国」という言葉は、単数形にも複数形にも使われ19世紀まで国全体の名称としては用いられておらず、紀元前6世紀の書経を始め様々な古文書に登場し、中華帝国以前の時代には華夏族四夷と区別するため、文化的概念として頻繁に用いられた。

支那帝国主義のイメージと結びついて侮蔑的な呼称であるが、その原型が古くから印欧語族の諸国で用いられてきた。したがって派生形が多く残っている。たとえば英名の"China"は、サンスクリット語の (चीन) を由来とするペルシア語Chīn (چین)が由来と考えられる[15]。"China"という言葉は、ポルトガルの探検家の日誌において1516年に初めて記録された[16]。1555年、同日誌はイングランドにおいて翻訳及び出版された[17]。17世紀にマルティノ・マルティニにより提唱された伝統的理論では、Cīnaにおいて中国最西の国である"Qin" () が由来である[18]。また、Cīnaマハーバーラタ (紀元前5世紀) 及びマヌ法典 (紀元前2世紀) を含む初期のヒンドゥー教の聖典において用いられていた[19][20]

歴史

元謀藍田北京原人
神話伝説三皇五帝
黄河長江遼河文明
西周
東周 春秋
戦国
前漢
後漢
三国
西晋
東晋 十六国
南北朝 北魏
西魏 東魏
北周 北斉
 
 
五代十国
北宋 西夏
南宋
北元
後金  
 
満洲 中華民国
 
中華人民共和国 中華民国
台湾
中国の歴史年表
中国朝鮮関係史

中華民国からの連続

古代から続く中国の歴史は文化と経済の両面から中華人民共和国のあり方を規定している。1900年前後の王朝・中華民国並存時代は外資が西欧近代化を推進した。19世紀末は露清銀行インドシナ銀行が進出してきたが、20世紀に入ると門戸開放政策によってアメリカ資本も参入してきた。このアメリカ資本とは例えば第一次世界大戦中やってきたフランク・ヴァンダーリップ()やJPモルガンのAIC(American International Corporation)であるとか、大戦直後上陸したアメリカン・インターナショナル・グループである。一方、四大家族が中華民国と中華人民共和国を政治と経済の中枢で関係させ、アメリカのチャイナ・ロビーが台湾に働きかけた。今日の中華人民共和国がグローバル化した背景である。

1930年代から日中戦争を挟んで断続的に行われていた国共内戦において、毛沢東の率いる中国共産党アメリカからの援助を打ち切られた中国国民党に対して勝利をおさめ、1949年に中華人民共和国を樹立、翌年までに台湾および福建省の一部島嶼を除く中華民国の統治地域を制圧した。なお、国民党政府は進駐中であった台湾島に追われるかたちで政府機能を移転、その後も台湾島とこれらの島嶼地域は現在中華民国政府の実効支配下にある。

毛沢東時代

1949年、天安門にて中華人民共和国の建国を宣言する毛沢東

中華人民共和国は、国家指導者の指導理論や政策などによって、毛沢東時代1949年 - 1978年)と鄧小平時代以降(1978年 - )の2つの時代に分類することができる。

毛沢東時代の中華人民共和国は、社会の共産主義化を推進した。中華人民共和国の建国後、毛沢東は毛沢東思想に基づき、中国共産党を軸にした世界革命路線を推進した。1951年にはソ連から旅順港大連港南満州鉄道が返還される[21]1952年には朝鮮戦争に介入し、韓国軍と、アメリカ軍を主体とする国連軍を阻止した。毛沢東の指導の下で大躍進政策核開発を行い、多くの餓死者を出しながらも核保有国としての地位を確保する。1959年のチベット蜂起を鎮圧し、1962年にはインドと武力衝突した(中印国境紛争)。

1949年の中華人民共和国成立後、「向ソ一辺倒」の下で中ソ両国は友好関係を保っていたが、1956年フルシチョフ第一書記によるスターリン批判後、西側諸国との平和共存路線を図るソ連と自由主義世界との妥協を拒否する中華人民共和国との間で中ソ対立が生じ、中国を支持したエンヴェル・ホッジャが指導するアルバニアと共にソ連から世界の共産主義運動の主導権を奪おうとし、1969年には両国の国境地帯に位置した珍宝島/ダマンスキー島を巡って中ソ国境紛争が勃発した。また、内政では大躍進政策の失敗によって失脚していた毛沢東が、1966年より経済の立て直しを巡る対立からプロレタリア文化大革命(文革)を発動し、官僚化した中国共産党を打倒しようと呼びかけた毛沢東の訴えに紅衛兵が呼応したため、「造反有理」、「革命無罪」の呼号の下、宗教関係者などの「反革命」派と目された人々の多くがつるし上げや殺害を受け、国内は内乱状態となった。内モンゴルの先住民族に対しては内モンゴル人民革命党粛清事件などの粛清を行った[22]

外交では1971年の第26回国際連合総会にて採択されたアルバニア決議の結果、それまで国際連合常任理事国だった中華民国に代わって国連安全保障理事会常任理事国となった。また、ソ連との関係では中ソ対立が継続していたため、1972年2月21日リチャード・ニクソン大統領訪中を契機にソビエトと対立するアメリカ合衆国との関係が緩和され、同年9月29日には日本田中角栄首相と日中国交正常化を果たし、ソ連の影響から離れて資本主義諸国との関係を改善した。以後、西側諸国から経済支援を受け、国際社会に強い影響力を持つことに成功した。1974年には南シナ海に侵攻し、当時の南ベトナム支配下の西沙諸島を占領した(西沙諸島の戦い)。文化大革命は1976年の毛沢東の死と共に終結した。その後、「二つのすべて」を掲げた華国鋒が毛沢東の後を継いだが、1978年12月の第11期3中全会鄧小平が実権を掌握した。

鄧小平時代

1978年より始まる鄧小平時代以降の中華人民共和国は、鄧小平理論に基づいて政治体制は中国共産党による一党体制を堅持しつつも、市場経済導入などの経済開放政策を取り、中華人民共和国の近代化を進めた(中国特色社会主義)。中ソ対立の文脈の中で、1978年12月にカンボジア・ベトナム戦争によってカンプチア救国民族統一戦線ベトナム人民軍民主カンプチアに侵攻し、1979年1月に中国が支援するカンボジアポル・ポト政権を打倒すると、1979年2月には親中派の民主カンプチアを打倒した親ソ派のベトナムに侵攻した(中越戦争)。その後もソ連派のベトナムとの関係は悪く、1984年には再びベトナムと中越国境紛争を戦い、1988年にベトナム支配下のジョンソン南礁を制圧した(南沙諸島海戦)。

1980年代以来の経済の改革開放の進展により、「世界の工場」と呼ばれるほど経済が急成長した。一方、急激な経済成長とともに貧富差の拡大や環境破壊が問題となっている。また政府は、中華人民共和国の分裂を促すような動きや、共産党の一党体制を維持する上で脅威となる動きに対しては強硬な姿勢を取り続けている。1989年六四天安門事件での対応などはその一例である。当時のソビエト連邦(ソ連)ではミハイル・ゴルバチョフ書記長によるペレストロイカにより、経済の自由化のみならず、政治の自由化まで推し進められようとされていたが、鄧小平の自由化は、経済に限定されていた。1985年にゴルバチョフが北京を訪れた際、世界はゴルバチョフを賞賛するとともに、鄧小平の改革開放路線を中途半端なものとして批判した。この空気は、国内にもくすぶり、共産党員の中にも「政治開放が必要」との声も上がるほどであったが、その延長線上で民主化要求の大規模な政治運動である六四天安門事件が起こる。なお、フランス流学歴のある鄧小平は、包玉剛を通じて香港上海銀行と関係していた。

地理

国土の外観

中国の地形を示す合成衛星画像

中華人民共和国はアジア大陸の東部、太平洋の西海岸に位置し、国土は9,634,057km²とロシアカナダに次ぐ面積であり、世界第3の大きさである[23]。領土は北は漠河以北の黒竜江(アムール川)の中軸線から、南は南沙諸島の一部まで。東は黒竜江とウスリー川の合流する地点から、西はパミール高原まで広がっている。主要河川として黄河長江があり、それぞれ黄河文明長江文明を育んだ自然の恵みでもある。陸地の国境線は2万2800キロで、東は朝鮮民主主義人民共和国、北はモンゴル、北東はロシア、北西はカザフスタンキルギスタンタジキスタン、西と南西はアフガニスタンパキスタンインドネパールブータン、南はミャンマーラオスベトナムと接している。

東部と東南部は韓国日本フィリピンブルネイマレーシアインドネシアと海を挟んで接している。海岸線は約1万8000キロで、中国大陸の東部は渤海黄海東シナ海に、南部は南シナ海に臨んでいる。海域には5,400の島が点在する。これらの島嶼では南沙諸島西沙諸島台湾、フィリピンのミスチーフ環礁、マレーシアのラヤンラヤン島の領有権も主張している。その一部は既に武力支配され、周辺国から反感を買い警戒されている。島嶼以外ではチベットウイグルの独立問題の他、インドアクサイチンアルナーチャル・プラデーシュ州の領有も主張している。

交通機関

中国の交通は運河と海路を長大な歴史にわたり活用し発展してきた。満州は現代史の一定期間だけ自転車天国だったかもしれないが、中国全体の交通事情をそのように想像するのは大きな誤解となる。中華人民共和国の鉄道の一部は列強による中国分割の途中に敷設されたものがある。国有化されても影響は残るものである。それはロシアの鉄道にフランス資本が注入されたケースに共通する。中国にもフランス資本は直接・間接に導入された。自動車道も鉄道沿線に網を張った。中国の国道は経済格差を反映し東部で密に整備されている。中華人民共和国の高速道路は外資がなだれこんだ2003年から整備が進んだ。


チベット自治区・青海省その他のチベット東部 

民国期(1912年-1949年)のチベットは、アムド地方(=青海省,甘粛省の西南部など )を抑える馬一族回族政権、カム地方の東部(=西康省を抑える劉文輝政権、中央チベット(=西蔵,ウー・ツアン地方とカム地方西部)を抑えるガンデンポタンなどが割拠する状況であった。馬歩芳は人民解放軍に逐われて1949年8月に地盤の甘粛青海を放棄し、重慶香港経由でサウジアラビアに亡命、劉文輝は、「建国」後の1949年12月に中華人民共和国に投降した。

1950年に中国政府は人民解放軍を中央チベットに向けて派兵、チャムド戦役を経て同年中にカム地方西部を制圧、翌1951年、残るウーツァン地方も制圧、ガンデンポタンとの間にいわゆる「十七ヶ条協定」を締結(「西蔵和平解放」)、この協定のもと、ガンデンポタンは「西蔵地方政府」と位置付けられた。

この協定では、「西蔵には改革を強制しない」と規定されていたが、「西蔵」の外部(=ガンデンポタンの管轄外)に設置された青海省甘粛省甘南州四川省ガパ州(=アムド地方)、四川省のカンゼ州・雲南省のデチェン州(=カム地方の東部)などでは「民主改革」とよばれる土地制度をはじめとする各種の社会制度改革が1955年より開始された。世襲の領主制、一部名望家による大規模な土地所有、牧畜群所有などに対する改革は民衆の歓迎をうけたが、寺院財産に手が付けられるに及び中国統治への反感は一挙にたかまり、1956年より、アムド地方・カム地方における一斉蜂起がはじまった。この蜂起により、中国の統治機構は一時的に青海省その他のチベット東部地方各地から一層されたが、中国人民解放軍による反撃がただちに開始され、チベット東部地方の旧指導層や民衆は、難民となって、ガンデンポタンのもとまだ平穏をたもっていた「西蔵」に逃げ込んだ。

1959年に「農奴制革」に反発したチベット人貴族・僧侶「農奴制革」が蜂起(=「チベット動乱」)した。しかし中国軍の強力な反撃により弾圧され、ダライ・ラマ14世は多数の元貴族と共にインドへ脱出して、亡命政府を樹立した。現在ダライ・ラマ率いるチベット亡命政府が中国共産党に対してチベットの独立を要求している。 2008年3月14日には、チベット自治区ラサで、中国政府に対する僧侶を含む多数の一般市民の抗議行動が激化し、中心部の商店街から出火、武装警察(中国人民武装警察部隊)などが鎮圧に当たり多数の死傷者が出た。チベット亡命政府によると確認されただけで死者は少なくとも80人はいると発表された[24]。それと同時に世界各国の中国大使館前でも中国政府への抗議活動が繰り広げられた[25]

アメリカのバラク・オバマ大統領は、チベット仏教の最高指導者の一つであるダライ・ラマ14世と4回にわたって会談を行っており、2016年6月15日には中国外務省がチベットの分離独立を後押しするダライ・ラマ14世の主張に正統性を与えかねないとしてアメリカ政府を厳しく批判した[26]。6月26日には、レディ・ガガがダライ・ラマ14世と意見交換をし、中国政府は不快感を表明した[27]

新疆ウイグル自治区 

新疆ウイグル自治区東トルキスタン)の分離・独立を目指す組織勢力が国内外に多数存在しており、アメリカ東トルキスタン亡命政府を樹立するなど活動を行なっている。2009年ウイグル騒乱では、約200人の住民(新華社によると主に漢族)が殺害された[28][29]。ウイグル独立団体の主張によると、2014年7月に発生した暴動でも、ウイグル人が大量に殺害されている[30]当局は情報統制を敷いており事件の真相は不明だが、当局側は59人の射殺を認めている[31][29]。2015年12月1日には、政府系メディアなどが対ウイグル族政策で批判的記事を書いた外国人記者に対して個人攻撃をおこなったことについて、中国外国人記者会が深い懸念を表明した[32](12月26日には、この外国人記者が国外退去処分となった[33])。

2015年7月9日、 タイ政府が中国からの保護を求めて2014年3月に入国した300人以上のウイグル人のうち約100人を中国に強制送還したことが国際問題となった。保護を求めたウイグル人は、タイやマレーシアなどを経由してトルコへ渡ることを目指しており、国連はタイ政府の対応を非難[34]亡命したウイグル人が多く暮らすトルコでは、イスタンブールで抗議デモが発生した。また、米国政府は中国に対して「国際的な人権基準に基づいて適切に対応するよう求める」と牽制した[35]。また、エジプトでもウイグル族の中国への強制送還が相次いでることも問題となっている[36]

政治

国家の統治体制

全国人民代表大会議事堂である北京市の人民大会堂

憲法より上位の存在である中国共産党と憲法を拠り所とするその衛星政党(「民主党派」)以外の政党は認められておらず、国民には結党の自由がない。

立法機関として全国人民代表大会が置かれ、行政機関として、国務院が、司法機関として、最高人民法院最高人民検察院が存在する。法律上は全国人民代表大会に権限が集中する。この他に衛星政党や各団体、各界の代表なども参加する中国人民政治協商会議が存在するが、「国政助言機関」[37]であって法律の制定権などは持っていない。三権分立の相互抑制メカニズムは存在しない(民主集中制)。

実際には国政を動かすのは中国共産党であり、共産党の最高指導集団である中央政治局常務委員会が権力を掌握する構造となっている。最近では法治を重視する政策の下、一定の役割を果すようになってきている。

習近平総書記と李克強首相

現在の最高指導グループである第19期中国共産党中央政治局常務委員は以下の通り。

  1. 習近平 - 序列第1位 党総書記国家主席軍事委員会主席
  2. 李克強 - 序列第2位 国務院総理(首相)
  3. 栗戦書 - 序列第3位
  4. 汪 洋 - 序列第4位 国務院副総理(副首相)
  5. 王滬寧 - 序列第5位 党中央書記処書記
  6. 趙楽際 - 序列第6位 党中央規律検査委員会書記
  7. 韓 正 - 序列第7位

一国二制度

1997年イギリス統治から返還された香港1999年ポルトガル統治から返還されたマカオは、一国二制度(一国両制)の下、特別行政区として高度な自治権を有する。香港基本法により、高度な自治、独自の行政、経済および法制度を持ち、本土の法律は一部を除いて適用されない。間接選挙であるが、行政長官選挙が行われ、立法会では一部議員を直接選挙で選出している。さらに、参加資格を主権国家に限定していない国際組織への加盟や国際会議への参加も可能である。

地方行政区分

2017年現在、中華人民共和国の行政区分台湾省を含む23の省、5つの自治区、4つの直轄市、及び2つの特別行政区から成る。中国政府は地方政府独自の旗を禁止しており特別行政区の香港、マカオを除き独自の旗を持っていない。[38]

新疆ウイグル自治区 チベット自治区 青海省 甘粛省 四川省 雲南省 寧夏回族自治区 内モンゴル自治区 陝西省 重慶市 貴州省 広西チワン族自治区 山西省 河南省 湖北省 湖南省 広東省 海南省 河北省 黒竜江省 吉林省 遼寧省 北京市 天津市 山東省 江蘇省 安徽省 上海市 浙江省 江西省 福建省 香港特別行政区 マカオ特別行政区 台湾省 (中華人民共和国)
中華人民共和国の各行政区分の位置(クリックでリンク先に移動) /  

国家機関

警察

毛沢東の肖像画が掲げられた天安門における中国人民武装警察部隊員
公安部
武装警察部隊
その他

情報機関

国家安全部
中国人民解放軍
公安部
  • (国内安全保衛局)
  • (公共信息網絡安全監察局)
網絡警察
  • - (国家安全部と公安部の合同機関)
共産党
国務院

中華人民共和国憲法によれば、形式的には、国家中央軍事委員会中国人民解放軍(現役部隊、予備役部隊)、中国人民武装警察部隊中国民兵など全国の武力を指導するとある。しかし現実は、中国共産党党中央軍事委員会がほぼ国家中央軍事委員会のメンバーを兼ねており、実質的には中国共産党の指導の下、軍・警察を支配しており「中国共産党傘下の軍隊」となっている。

軍隊近代化のため、兵力20万人削減を、2015年9月3日の「中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典」で習近平が表明し、総兵力は約150万人となった。

チャイナネットによれば中華人民共和国には兵役制度が存在しており、選抜徴兵制と呼ばれている。青年らは何らかの形で武装警察、あるいは現役の正規軍に任務につき、任務後は民兵の任務に就くことが可能である。こうした準軍事組織は150万人の武装警察、600万人の民兵があり、削減された解放軍兵士の受け皿にもなっている。

また、中華人民共和国は核兵器を保有している。

軍事費

ストックホルム国際平和研究所の統計によると、2008年度の中華人民共和国の軍事費は為替レートベースで849億ドル[39]で、アメリカ合衆国に次いで世界で2位(世界シェア5.8%)であり、1999年〜2008年の10年間で194%増加した。

中華人民共和国の軍事費の増加をアメリカ合衆国が非難をしており、中華人民共和国は「中国の国防は防御的なものであるし、今までの歴史に他国を侵略したこともない」と覇権目的ではないと反論している[40]

中華人民共和国は湾岸戦争アフガニスタン戦争イラク戦争などで、アメリカ合衆国軍の軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新による軍事的成果に影響されて、軍事兵器や軍事システムや戦闘スタイルの革新に力を入れている。

軍備近代化を印象付ける出来事として2007年1月18日、中華人民共和国が過去に打ち上げ廃棄処分となっていた人工衛星弾道ミサイルによって破壊する実験を行い成功した。この実験に対しアメリカ航空宇宙局は、宇宙開発への危険性は無いものの、スペースデブリが発生するこの手の実験に関する懸念を表明した。2007年2月21日には、国際連合の宇宙空間平和利用委員会で、宇宙空間での人工衛星破壊を禁止する法案が採択された。

国防白書から核先制不使用記述の削除

2011年までの中国国防白書には「中国は、いつ、いかなる状況下であっても、核兵器を先制的に使用しない」と核保有国で唯一核の先制不使用を表明していたが、2013年から記述が削除された[41]

国際関係

にて、BRICs各国首脳と手を握り合う習近平国家主席

中華人民共和国の国際関係において特筆すべきことは、同国政府が中華民国政府と同時に自らを「『中国』の正統な政府」であると主張している点である。

中華人民共和国は、冷戦構造の下、建国当初は完全に東側陣営に組み込まれていた(向ソ一辺倒)。しかし、1956年スターリン批判後の中ソ対立で決裂した。このころの中華人民共和国は、アジア・アフリカ会議非同盟運動に参加するなど第三世界と連携を深めた。

ソ連や第三世界の支持も集めた国際連合総会に於けるアルバニア決議によって国連安保理の常任理事国となって中華民国を国連から追放させることに成功し、さらにアルバニア決議に反対した日米にも接近して1972年ニクソン大統領の中国訪問日中共同声明採択によってアメリカ合衆国と日本を始めとする西側諸国との関係の回復を果たした。

また、冷戦下における西側諸国と東側諸国との微妙なバランスの中で、「中国を代表する正当な政府は、中華民国ではなく中華人民共和国である」という既成事実を東側だけでなく、西側諸国の多くに確認させる一つの中国政策も成功を収めた。

1978年から始まる改革開放路線以降、経済面での資本主義諸国との関係も強め、2001年には世界貿易機関(WTO)にも加盟した。近年、APECやASEANプラス3の他、ロシア中央アジア諸国と連携を強化し(上海協力機構、SCO)、また、東南アジア諸国ともASEAN自由貿易地域FTAを締結、さらには中華民国ともFTAを締結するなど、経済活動を絡めた積極的な地域外交を展開している。日本に対しては胡錦涛政権は、対日新思考を打ち出した。

区分としては開発途上国に含まれるため、国際会議等で「開発途上国の代表」と表現されることがある。また開発途上国のため、日本などの先進国から長年に渡り膨大な開発援助を受けているが、一方で他のさらに貧しい国に対して、国際的影響力を確保することを目的として開発援助を行っている。例えば、アフリカ連合本部は中国政府の全額負担で建設された。

急速な経済成長を遂げ、中国人民解放軍の軍備拡張を続ける中華人民共和国に対して、周辺諸国やアメリカは警戒感を持ち(中国脅威論)、また、人権問題・両岸問題・国境問題など、中華人民共和国の国際関係は緊張をはらむ側面もある。

アメリカ

中国はアメリカを最大の諜報活動の対象としているとみられ、国家安全省の他に中国共産党中国人民解放軍、国有企業もその活動に加わることがある。米国政府の国家情報会議のジョエル・ブレナー(Joel F. Brenner)専門官は「米国を標的として活動する140カ国ほどの諜報機関でも、中国が最も活発」と述べた。また中国のスパイ活動研究の権威として知られるデービッド・ワイズは、軍事面でも超大国を目指す中国はアメリカを追い越すために軍事機密を標的にしていると指摘し、近年ではF-35戦闘機の機密や核弾頭の軽量化技術を奪取したと述べた[42]。また、2005年7月、中国人民解放軍の朱成虎少将は、「米国が台湾海峡での武力紛争に介入し中国を攻撃した場合、中国は対米核攻撃に踏み切る用意がある」と発言した[43]

2015年5月、中国が南沙諸島で建設中の人工島を米偵察機が偵察した[44]。この事件をめぐって、両国は2001年4月に米中両軍機が南シナ海上空で衝突して以来の緊張状態となった。米政府は、スプラトリー諸島(南沙諸島)の12海里以内に米軍機を進入させる可能性を表明しており、中国外務省は「言動を慎むよう求める。私たちは関係地域に対する監視を密にし、必要に応じて適切な措置を取る」と反発した[45]。なお、7月末にマレーシア航空370便墜落事故の残骸の一部が発見された。

以前はパナマは台湾と外交関係があり中国とは国交がなかったが、中国は、米国の「裏庭」ともいわれるカリブ海に出ることを念頭に国交を樹立し、パナマ最大のマルゲリータ島港を99年租借する契約を交わした[46]

中華民国(台湾)

「両岸」とは台湾海峡を挟んだ中国本土台湾の海岸を指しており、そこから「両岸関係」は台湾を実効支配する中華民国と中華人民共和国との関係を指す言葉となっている(二つの中国)。

1946年から激化した国共内戦に勝利した中国共産党1949年に中華人民共和国を中国に建国、同年中に国民政府は、日本が領有権を放棄した後に実効支配した台湾に移った。それ以来、中華人民共和国は中華民国と「中国における正統政府」の座を巡って対立し、両国共に互いの統治する地域の支配権を主張して譲らなかった(台湾問題)。

そのために、中華人民共和国政府は国際連合における「中国」代表権を求めて諸外国に外交的に働きかけた他、「中華民国政府が実効統治している台湾を中華人民共和国の領土」と見なして領有権を主張し、「台湾解放」の名の元に金門島への砲撃を度々行った。その後、冷戦下におけるアメリカとソ連の間の対立や、ソ連と中華人民共和国の対立の激化などの政治バランスの変化に伴い、中華民国が国連の「中国」代表権を喪失して国際的に孤立し、中華人民共和国も改革・開放を推進するようになると、中華人民共和国政府は「一国二制度」といった統一の枠組みの提案や「三通政策」といった穏健的な統一政策を通じて両岸関係の改善を図った。1992年には両国政府関係者が「一国共識、各自表述(「一つの中国」を共通認識とするが、解釈はそれぞれが行う)」の統一原則を確認するまでに至った。

だが、1990年代に入ると、中華民国では李登輝中華民国総統による政治体制の民主化が進められ、それに伴い中華民国では、中華民国とは別個の「台湾」という国家を創り上げる台湾独立運動(台独運動)が活発化し始めた。このような動きに対し、中華人民共和国は総統選挙1996年から実施)における台独派(泛緑連盟)候補者の当選阻止を目指して軍事演習で威嚇するなど強硬姿勢をとった。しかし、いずれの選挙においても阻止するには至らなかった。

このことを教訓としてか、2005年3月14日には中華人民共和国で反国家分裂法が成立した。この法律は中華人民共和国による中華民国の武力併合に法的根拠を与えることを名目とする。こうした経緯で、今日の中華民国と中華人民共和国の関係は、台湾問題として東アジア地域の不安定要素と見る見方も一部で存在する。中華民国にも「台独」に反対する「中国派」の人々(泛藍連盟)が存在している。こうした動きにおいては、中国国民党が有力な存在である。国民党党首・連戦は、2005年4月26日5月3日にかけて中華人民共和国を訪問、共産党党首・胡錦濤と60年ぶりの国共首脳会談を実施した。

2010年に台湾との間で両岸経済協力枠組協議(ECFA)が締結されたが、サービス貿易協定は4年後批准を拒まれた(ひまわり学生運動)。

日本

日中関係史は古代からのものであるが、現在の日本国と中華人民共和国の外交は1972年9月29日の日中共同声明に始まる。その後両国は1978年8月12日、日中平和友好条約を締結した。日本国と中華人民共和国はサンフランシスコ条約に署名していないため日中平和友好条約が両国にとってのはじめての条約締結となる。

両岸関係がシーレーンの安否に関わる。中国産食品の安全性は輸入量と後述の環境汚染と関係して問題となる。

領土問題

中華人民共和国及び近隣諸国間の領土問題を示した地図

インドブータンを除く12カ国(ロシアなど)とは陸上国境の画定が完了しているものの[47]、島嶼部を巡っては中国の海洋進出に伴い、領土問題を複数抱えている。

経済

IMFのデータに基づく、2012年時点での
主要経済大国の名目GDP比較図 (単位:10億米ドル)[48]

国際通貨基金の統計によると、2011年の中国のGDPは7兆2981億ドルであり、アメリカに次ぐ世界第2位である[49]2014年はIMF・世銀・CIAによると、購買力平価換算でアメリカを超えて世界最大のGDPとなり[9][10][11]、2015年には購買力平価で欧州連合を超えて世界初の20兆ドル以上のGDPに達した国となった。一方、2017年時点で一人当たりのGDPは購買力平価換算で世界平均に近い1万6676ドルであり[50]、為替レートベースでは同じBRICsブラジルロシアと大差ないものになってきてる[51]。億万長者は568人[52]で中流層は約1億900万人と何れも世界最多だが[53]、1日2ドル未満で暮らす貧困層は1億人前後と推計されており[54]世界銀行によって発展途上国に分類されている[55]

改革開放政策の成果

1990年から2013年までの一人当りの購買力平価GDPによる中国及び主要新興国。中国 (青) の急速な経済成長が顕著である[56]

国家成立後、1970年代中半までの経済は大躍進政策の失敗や文化大革命によって立ち遅れていた。農業を志向した社会主義経済の非効率性も経済発展の障害となっていた。このため、鄧小平の主導によって1978年に「改革開放」政策が採用され、社会主義市場経済の導入、国営企業の民営化や不採算企業の閉鎖、人民公社の廃止と生産責任制の実施、外資導入など、経済政策の方針を、市場経済原理による資本主義体制を大幅に取り入れたものに転換した。その結果、1980年代以降の経済は経済特区を中心として長年にわたり成長を持続している。特に香港へ人材が流出し、また経済格差も広がった。これを象徴するのがハチソン・ワンポアの隆盛であった。それまで中国人民銀行によるモノバンク体制であった中国は、1984年に四大商業銀行体制(中国銀行中国建設銀行中国農業銀行中国工商銀行)を形式上整備した。依然として国有銀行だったので、融資は中国共産党の計算で行われ、不良債権を積み上げた。

21世紀に入ると、他に経済成長の著しいブラジル、ロシア、インド南アフリカとともに、ゴールドマン・サックスからBRICSと呼ばれた[57]2010年のGDP成長率は3年ぶりに2桁増の10.3%[58]となり、「世界第2位の経済大国」となった[59]。それまで極東の債券市場が日米欧金融機関の結集により整備されてきたが、2015年アジアインフラ投資銀行発足につながった。

証券化のはじまり

建国以来、中国の金融機関は中国人民銀行だけであって、仕事も間接金融が主流であった。その本店が支店に対して強制的な指標を提示して、地方ごとに、また業界ごとに貸出額・貸出先・預金等をコントロールしていた。[60]

1965-1971年に、中国はモーリタニアイエメンカナダ赤道ギニアイタリアエチオピアチリナイジェリアクウェートカメルーンサンマリノオーストリアと国交を樹立し、国際連合加盟も果した[61]。翌年には日中共同声明を発した。世界の機関投資家は、当時の中国史に刻まれない高みから外堀をうめていったのである。

そこで経済改革が進み、企業自主権がさらに保障されるなどして資金需給が変化した。もはや中国人民銀行だけでは対応しきれなくなった。そこで1979年に金融制度改革がスタートした。まずは同行に集中されていた各種金融機能が専門銀行に分割された(中国工商銀行中国農業銀行中国建設銀行中国銀行など)。中国人民銀行の支配対象がフローだけとなり、その分行は決められたフローの範囲内で間接金融を担った。1979年は郷鎮企業が社債発行を認められた。民間では闇で株式類似証書による直接金融も行われた。1981年、政府米等の購入が響き48億6600万元の赤字国債を発行した。12月に中国投資銀行が新設された。これを通じて世銀などから借款を受けた。1983年、銀行に利潤留保制度が導入された。1985年、各専門銀行が貸付計画の中に組み込まれ、そこで節約された貸付額の穴埋めとして専門銀行間の銀行間取引市場が整備された。1988年、オーバーローンを廃して、代わりに政策金利設定や公開市場操作といった方法がとられるようになった。貸付をしぶったせいで景気低迷が起こった。それまで中国の証券業は純粋に発行市場だけであったが、不況下で資本調達を可能とするため流通市場が育成されていった。1990年までに発行国債は604億元に達したが、それは半ば強制的に消化されていた。財政部からトップダウンで各自治体の企業に割り当て、各企業が社員の給料から天引きして購入させていたのである。[60]

よみがえる上海租界

上海市・の金融街における上海証券取引所。2011年時点で、上海市のGDPは総計30億4千万米ドルで世界第25位の都市である[62]

1991年11月、中国人民銀行は、上海真空電子部品株式会社(1987年から民営化)が外国人向けの人民元特殊株式(いわゆるB株式)を発行することを初めて認め、これが翌年1月に発行された。額面総額は1億元(100万株)で、そのうち80%はサンフンカイソロモン・ブラザーズスイス銀行コーポレイションが国外で販売することになった。売買・利子・売却益の計算はUSドルで行われた。1992年後半から中国経済は加熱したので、10月に国務院証券管理委員会が設置された。1993年4月、米証券取引委員会がアメリカの機関投資家に対してB株式への直接投資を許可した。同年の中国では株式上場が多く、相応の資金が吸収された。同年、中国人民銀行が全支店を直轄し金融引き締めを断行した(日本の高目放置にあたる機関化からの防衛措置)。1993年12月、第8期全国人民代表大会常務委員会第5回会議で「中華人民共和国会社法」が採択された(翌年7月施行)。外国人投資家を保護するために闇株を駆逐することになったのである。もっとも、国の受権する投資機構が保有する株式は、ちがう法律または行政法規で制限された。1994年初頭の調査によると、全国371社の株式会社を対象とした株式保有状況は、国家株が33.8%、法人化株が45.2%、個人株が19.4%、外資株が1.6%であった。[60]

1993年9月には財政部が300億円のユーロ円債を発行していた。1994年1月1日から二重為替相場制が一本化され、4月に全国的な為替スワップ市場が上海にオープンした[60]。同年のUSドル売買高は520億ドルであった。1995年2月末時点で308会員があり、22郡市がオンライン接続した。3月からは日本円の取引ができるようになった。

世界資本の集まる工場

香港返還までに当地の経済はダイナミズムを示した。まず本土企業が香港企業を買収し上場させるという「借殻上市」あるいは裏口上場が進んだ。1992年7月、海虹集団(現招商局港口控股)が香港で上場した。これをはじめとして本土企業が次々と香港で上場するようになった。これは中国証券監督管理委員会と香港証券取引所との合意によるものである。1993年7月に青島ビールがH株上場第1号となった。翌月には広船国際、11月には馬鞍山鋼鉄が1次で上場した。2次の上場予定は往時で武漢鋼鉄中国南方航空華能国際電力大唐国際発電等。このような中国化と並行し、脱英国化が進んだ。ジャーディン・マセソンの系列企業5社は機関化防衛措置が証券先物取引委員会に認められなかったので香港上場を廃止した。さらに第2上場先をシンガポールに切り替えた。香港上海銀行はロンドンへ移転した(もろに機関化)。この脱イギリス化に並行してUSドル連動化も進んだ。前節の上海真空電子部品株が一例となるが、香港の場合1994年1USドル=7.80香港ドルでリンクしていた。[63]

香港の中国化・脱英化・USドル連動化は、総合すると機関化である。安い人件費と膨大な人口を背景にした潜在消費需要を当て込んだ外資が中国に投入された。機関化された中国産業は、安い人件費を強みとして安価な製品輸出を拡大した。中国は「世界の工場」と呼ばれるようになった。世界貿易機関(WTO)の発表によれば、2003年の対中直接投資は535億ドルとなり、アメリカ合衆国を抜いて実質的に世界最大の直接投資受入国となった(ルクセンブルクの特例を除く)。輸出については、FTA相手国の日本、韓国、東南アジア諸国、アメリカなどへの輸出拡大が目覚しく、大幅な貿易黒字を記録している。一方で内陸の貧困が放置されており[64]、個人消費の割合が20世紀から低いままである。このことが、投資効率性低下や資源浪費、環境破壊そして過剰貯蓄を通じて貿易摩擦に繋がっている。2006年に入ってからは個人消費と内需による経済成長を図る方針へ転換した。しかしこれは外資の計算だったのである。3年後に労働力が不足するなどという楽観的観測もなされた[65]世界金融危機がおこると理由をつけて資本が逃避するのであった。それが「チャイナリスク」であった[66][67][68]。著名な例では、多国籍企業グーグル社が中国のネット検閲を理由に撤退した。外資だけでなく、国有企業に対する民間の活力が小さいという産業構造の問題もある(国進民退)。

外資の津波で機関化

香港返還の前後(1994年から2002年まで)に、政府は銀行の基本的なルールや規制を作った。銀行業の商業化をさらに進め、1997年から不良債権処理にも取り組み始めた。1998年、政府は四大商業銀行の不良債権比率を32%としていたが、実際は50%近いとみられていた。政府は同年、四大商業銀行に合計2700億元の公的資金を投入した。1999年には四大銀行の不良債権のうち1.4兆元分を不良債権の管理会社に移した。2003年以降はコーポレート・ガバナンスが見直され、銀行システムが再構築された。同年末、中国銀行と中国建設銀行に、外貨準備を活用して合計450億ドルを注入し、健全化をうながした。[69]

政府は2000年頃から西部大開発やを重点政策とし、これら後発地域の開発に乗り出した。しかし、沿海部と内陸部との格差は解消されず、依然として内陸部よりも沿海部の方が経済成長率が高く、格差は拡大している。胡錦濤は格差の解消を政策目標の一つに掲げたが、目に見える成果を出せなかった。

2003年4月シティグループ上海浦東発展銀行と戦略提携。2004年HSBC交通銀行に出資した。2005年3月、INGグループ北京銀行へ2.15億ドルを出資、19.9%を支配した。同年6月16日、バンカメが中国建設銀行株を9%取得すると発表。同年7月21日より中国は管理フロート制と通貨バスケット制を採用した(人民元改革)。同年8月18日、ロイヤル・バンク・オブ・スコットランドメリルリンチ李嘉誠基金が中国銀行に31億ドル(10%)を出資することが明らかとなった。同年10月17日、ドイツ銀行がオッペンハイム()と共同で首鋼集団から華夏銀行株2.7億ユーロ(議決権14%)を買い入れた。同年から政府は中国建設銀行などを香港市場に上場させた。2006年1月27日、ゴールドマン・サックスアリアンツアメリカン・エキスプレスが中国工商銀行へ出資して、やはり10%を支配することとなった。同年10月、モルガン・スタンレーが南通銀行を買収したことを発表した。それまで南通銀行は、広東省の珠海市を地盤とする、中国銀行の完全子会社であった。2007年8月インテーザ・サンパオロが山東省の青島市商業銀行に1.35億ドルを出資して19.9%を支配した。イタリア資本で初めて中国の銀行へ資本参加した。[70]

変化は華南事情や金融制度にとどまらなかった。このころ内モンゴル自治区バヤンオボー鉱区電解精錬レアアースの生産元がしぼられていった。そして2006年に政府が資源保護計画を発表した。

アフリカとアセアン

世界金融危機は突然におこったのではなく、HSBCは2003年に買収したハウスホールドのサブプライムローン関連ビジネスの不振を知っていた。証券の暴落が見えているとき、アフリカの地下資源に目が行くのは当然であった。しかし、このHSBCをふくめ中国経済は機関化される側であったので[71]、アフリカに直接投資ができるほどに立場が強いわけではなかった。

中国は機関化に対して気前よく人民元を払い続けたので、2004年末に外貨準備高は6000億USドルを突破した[72]。中国の為替介入は2005年だけで1000億ドルに迫る勢いで、増えた外貨準備を米国債へ向けているが(同年7月末で2400億ドル強)、実は国際決済銀行が通常業務として運用している[73]。そして、保有する外貨準備はUSドルだけでなかった。

2007年、中国国家開発銀行バークレイズへ24億ユーロを出資した。中国国家開発銀行は、バークレイズがABNアムロ銀行を買収することができた場合に、先の出資額を最大で98億ユーロまで拡大することを約束した。バークレイズは帝国主義の時代からアフリカでのビジネスに強かったので、出資により開発銀行のアフリカ進出にバークレイズから便宜を図ってもらおうという腹であった。2007年10月25日、中国工商銀行はスタンダードチャータード銀行株を20%も取得し、役員を派遣し、業務提携を進めた。この目的は開発銀行がバークレイズへ出資したのと全く同じである。[74]

こういうのは出資方向と関係なく、主導権は外資が握っているのである。その証拠に中国民生銀行はサンフランシスコのUCBH()を破綻時に買収しようとして連邦準備制度から断られた。

2008年、中国銀行はエドモンド・ロスチャイルド銀行へ20%資本参加すると発表した[75]

2009年9月、中国工商銀行はタイのACL銀行の株式公開買付を実施すると発表した。ACLはバンコクを拠点とする中堅銀行だが、大株主にバンコク銀行やタイ財務省がいる。工商銀行はバンコク銀行から19.3%を買い入れることで合意し、さらに全株取得をめざしていた。工商銀行はアセアン地域での金融業務展開をねらっていた。[76]

シャドーバンキング問題

人民元改革は、改革というよりも機関投資家がドルを節約しだした結果であった。2006年、アメリカで住宅価格がピークを迎えてOTD金融にドルを「輸血」しなければならなくなった。世界金融危機の2008年7月以降は1USドル=6.83人民元あたりへ実質的に固定した。2008-2009年で国有商業銀行の貸出残高は4.6倍となった(17兆3200億元)。これを借りて商業銀行は投資銀行化した。有価証券投資は同期間に5.3倍となった(9兆2200億元)。欧州通貨で機関化された国内産業は資金と為替の両面から保護された。その一方で為替介入へ回る人民元は尽きていった。2010年6月19日、中国人民銀行が為替レートの弾力性を高めると発表した。再び人民元高を加速させたのである。以下は資産インフレと為替相場のもたらした惨状である。

習近平総書記率いる新指導部が発足したばかりの2012年11月、中国で最も貧しい省の一つ貴州省畢節市で炭で暖をとろうとした少年5人が一酸化中毒によりゴミ箱で死亡した事件は、急速な経済成長により数億円のマンションを一棟買いするような富裕層が出現した一方で、農村部の国民が貧困にあえいでいるという格差社会の象徴と言われた[77][78]

華南等では大気や土壌における環境問題が深刻化している。そのため、国務院は環境保護部(国務院の「部」は他国政府でいう「省」に相当)を設立して、更なる環境問題への取り組みに乗り出している[79]。2013年初頭からは通称「PM2.5」と呼ばれる深刻な大気汚染が中国国内のみならず、日本にも影響を及ぼす事態となっている。中国の水供給と衛生状態も決してよくなかったが、先の大気汚染をきっかけに調査がすすみ、水銀の垂れ流しが日本側で指摘されるようになった[80]

2014年、阿里巴巴集団がロスチャイルドを財務アドバイザーに起用してニューヨーク証券取引所に上場した。その準備段階でフィデリティ・インベストメンツを自社の金融仲介に参加させ、ファンドマネージャーに不当な利益をもたらした問題をロイターが大きく報じた。この投信会社は米大統領とも関係しており、米中の緊密な政治経済関係を表現した。

中国は原子力発電を推進しているが、作業員の質などの問題が存在する[81]インフラ輸出拡大を念頭に、イギリスなどとの原子力分野での協力をすすめている[82]。日本でも安倍晋三首相がイギリスとの提携を公言している。

世界金融危機での4兆元もの巨額の景気対策や不動産バブルもあり(シャドーバンキング問題)、2015年から不良債権が前年比で50%増のペースで急増しており、国際通貨基金の発表によると230兆円に達している[83]

税制という投資環境

2008年1月1日から法人税は国内企業と外資企業の基本法人税率が共に25%に統一された。税制は国際化されたのである。国税には関税、消費税、国営企業の企業所得税などがあり、地方税は営業税、地方企業の企業所得税などがある。資源税や証券印紙税から構成される「国・地方共通税」は、国と地方で税収が75%:25%に配分される。

主な間接税には消費税、増値税、営業税の3種類がある。消費税は特定の嗜好品や贅沢品にのみ工場出荷時か輸入時に一度だけ品目によって3%〜45%が課税され、その後の流通段階ではあらゆる商品と役務提供に対して増値税が基本税率17%が適用されて各流通段階で課税される。各流通段階ではインボイスに当たる「増値税専用領収書」によってそれまでの増値税額が控除を受けることでそれぞれの付加価値に対して課税されることになる。ただし、贅沢からは縁遠い、穀物、食用油、水道などの特定の品目への増値税には低減税率13%が適用される。営業税は交通運送業、建設業、金融保険業、郵便電気通信業、文化体育業、サービス業、不動産販売業、無形資産の譲渡に対して3%〜5%、娯楽業は5%〜20%の税率で営業利益から規定額が控除された額に課税されていた。

増値税は常に外税表示であり、消費税と営業税はその性質上、内税であるため、増値税が日本での消費税に相当すると理解できる。 2016年5月1日、中国政府は国内景気の下支えと産業高度化のため、減税規模5000億元(約8兆2000億円)超の減税を行った[84]。1994年の税制改正後、モノには増値税、サービスには営業税を課してきたが、似た2つの税金が並立してわかりにくく、モノとサービスの境目が曖昧であるため、2012年から増値税を課する対象を広げてきていた[84]。さらに2016年には増値税を課する対象に不動産、建設、サービスを加えて、営業税を廃止した[84]。不動産にあっては、これまで営業税3パーセントの税率が増値税11パーセントにかわり、金融にあっては営業税5パーセントが増値税6パーセントにかわる[84]。しかし、課税対象が売り上げから粗利(売上から仕入れを引いた額)にかわるため実質的な税負担は減額となる[84]。これまで営業税は生産、流通、販売の各段階で売り上げに課税され、取引回数が多いほど税負担が重くなり、外部取引より社内調達の方が有利になり、分業化や専門化を妨げていた[84]。増値税は仕入れの税負担が控除されるため、外部の専門業者による高度なサービスを利用することを促し、製造業の専門化などにつながる[84]

香港は一国二制度が継続されており、基本的には返還以前の税制が維持されて中国本土側の税制とは異なっている[85]

ただし、本土・香港の実態経済が無差別・不可分に機関化されているのは既に書いたとおりである。

宇宙開発

長征3Bロケット発射の様子

1970年代以降から活発に長征ロケットシリーズを開発していたが、1995年には長征2号Eによる爆発事故で西昌衛星発射センター付近の地元住民6人が死亡、1996年には同発射センターより発射された長征3号B1号機が地元の町へ飛んでいき、多数が死亡するという大惨事を招いてしまった。世界のマスコミ陣にロケットを公開発射した中での事故だったために、事故発生直後にマスコミ陣を隔離し、政府が軍を派遣し5時間の間に事故現場の証拠隠滅を計ったとされている。

その後の開発は順調に進み、2003年には有人宇宙船神舟5号によって楊利偉中佐を乗せ、初の有人宇宙飛行を行った。2008年神舟7号では3人の宇宙飛行士を乗せて、ソ連、米国に続いて世界で三番目、中国としては初の宇宙空間での船外作業(飛行士1名)を行った。

今後の動向として、面探査プロジェクト嫦娥計画」や、2020年の宇宙ステーション計画等がある。

神舟7号が旧ソ連のソユーズと類似した設計が多いため、中国の宇宙開発技術はロシアから買い取った技術をベースにしていると思われるが、2006年12月26日ロシア連邦宇宙局長官アナトーリー・ペルミノフは今後は競合相手として中国への技術供与を制限していると答えており[86]、現在中国は自力で宇宙開発技術を向上させている。

成果は中国における携帯電話サービスが充実したことに現れているが、やはり内陸部は恩恵が薄い。

日本の独立行政法人宇宙航空研究開発機構では、中国の宇宙開発を「国家の経済発展と国民の生活水準向上に貢献することを主要な目的とする実益重視型」[87]と評価している。

社会問題

汚職問題

地方政府の役人(共産党員に限らず)の腐敗や職権の濫用が多いことが問題となっている。地方政府の対応に不満を持った農民や労働者は中央政府へ訴え出たり、場合によっては暴動を起こしたりしており、大きな社会問題となっている。また、政府高官でも汚職を行った者に対しては死刑が適用・執行されており、2000年には成克傑(元全国人民代表大会常務副委員長)が収賄罪で、2007年には(元国家食品薬品監督管理局長)が収賄罪でそれぞれ死刑が執行されている。

改革開放が進んで以降の中国ではアメリカ合衆国に負けずとも劣らない拝金主義物質主義が進行しているという指摘が多くある。たとえば、大規模な工場を建設する際に、周囲の住民の意見には聞く耳も持たず、「金にならない」というだけで工場の存在から出るリスク(汚水、悪臭、排煙など)を無視しているケースが散見される。また、食品製造では、安全性よりコストを優先するがゆえに無視し、危険な食品であっても生産するケースもある。また、多国籍企業の下請けになっている中国企業では、従業員を過酷な労働環境かつ安い賃金で使い、末端従業員の過労死過労自殺を引き起こしている。そういったことを本来取り締まるべきなのは政府役人だが、金によって腐敗している者も少なくない。こうした問題の深刻な実態は2010年代に入って以降、国内外の調査団体や有志の調査により表面化しつつある。

司法問題

中華人民共和国の司法に関してはいくつかの問題が内外から指摘されている。中華人民共和国刑法では死刑が定められており、死刑の場合は判決後数日以内と、迅速に決行されるケースが多い。控訴する権利は与えられてはいるものの実際に控訴で逆転できるパターンはわずかである。

テロの首謀者から汚職といった他人に暴力を振るったり生命の危機に直面させない罪などでも、死刑判決即決行に該当する。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルでの報告によると、2004年で全世界で執行された死刑囚の数の9割以上(約3400人)が中華人民共和国であり、同団体に非難されている。最近は新たな死刑施行方法を取り入れて、薬物で麻酔した上で銃殺するケースも増えてきた。

特に地方の人民法院裁判官について、質に難があるという指摘がある。賄賂を要求することも多く、断ったら会社の設備を破壊され営業不能となった上、押収品を勝手に他者に渡す、といった事例まである[88][リンク切れ]

2013年8月には、の裁判官3名が集団売春した容疑で、懲戒免職処分になった事件が起こっている[89]

2015年12月、中国のグローバル企業である復星集団の会長で支配株主でもある郭広昌が当局から身柄拘束を拘束された。中国では党幹部や政府高官、国営企業のトップなど広範囲で取り締まりが強化されており、12月下旬には、言論の自由を擁護する活動家である弁護士も有罪判決を受けた[90]

人権・報道問題

2010年広州市にて、広東語によるメディア現地語化支持者の抗議運動

中華人民共和国では、報道は新華社通信人民日報環球時報中国中央電視台新聞聯播』などの報道機関世界的に知られている。改革開放以後は新聞はタブロイド紙が爆発的に増え、テレビは地方局が多数開設された(キー局は中国中央電視台だけである)。そのため中国共産党の喉舌『御用報道機関』である、上記の4大報道機関の影響力は相対的に低下している。一方、新興報道機関は中小多数で熾烈な報道合戦を展開している。そのため、大衆の好奇心を刺激する論評で大衆の関心の高い事柄を報道するが、そのうち政府への批判的な報道は当局から「整頓」と呼ばれる修正を命じられることが多い。そのため、「上と下を見つつ報道」しているといわれる[91]

中華人民共和国政府は、検閲での情報操作(一国二制度適用の香港マカオは除く)を行っている。共産党・政府に対して、マイナスと認識した報道を規制している。

2015年9月3日中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年記念式典において、国際刑事裁判所(ICC)から虐殺などの疑いで逮捕状が出ているスーダン大統領のオマル・アル=バシールが招待されることもあった[92]

中国の憲法には第33条に「国家は人権を尊重し、保障する」と書き込まれている。六四天安門事件に対して、国際世論の風当たりが強まったことから2004年に付け加えられた。第37条には「公民の人身の自由は、侵犯を受けない」ともある。

インターネットへの検閲行為

中国国内では、インターネット上のウェブページで、反政府や同盟国の北朝鮮を中傷するページを閉鎖、または回線を切断させたりしていることが多い(中国のネット検閲)。

2004年11月には検閲されていない違法なインターネットカフェ1600店余りを摘発し、更にはネット上で政府を非難する自国人を逮捕しメールの文章も検閲内容として規制されている。Yahoo!などのアメリカ企業も政府の検閲に協力している。こうした企業に対しては、国際的に多くの人々が、中華人民共和国国内での言論の自由を奪っていると非難している。

こうしたネット文化の進展に伴い、中華人民共和国政府はネット規制システム「金盾」をバージョンアップさせた。傲游など検閲、規制を回避するためのシステムも一部で配布されていると見られている。

国民

2009年の中華人民共和国の人口密度を示す地図。西部の内陸部と比較し、東部の沿岸部の省は人口密度が高い。
1949年から2008年の中国の人口

民族

最大の民族集団は漢族で人口の92%を占め、その他の55の少数民族が残りの8%を占める。少数民族のなかではチワン族(1,600万人)、満族(1,000万人)、回族(900万人)、ミャオ族(800万人)、ウイグル族(700万人)、イ族(700万人)、モンゴル族(500万人)、チベット族(500万人)、プイ族(300万人)、朝鮮族(200万人)が比較的大きな民族集団である。中華人民共和国では、漢民族だけでなく、これらの中華人民共和国国内に居住する少数民族を含む全ての民族を「中華民族」と規定し、中華民族は一体であるという意味合いを持たせている。

中華人民共和国の民族の分類は、中華人民共和国政府が実施する「民族識別工作」によって決定される。また、「未識別民族」も存在している。

人口

中国中央政府の成立後、急激な人口増加が進んだことにより、食糧問題、エネルギー問題などが発生した。人口増加に危機感を抱いた政府は、対策として1979年から一人っ子政策を実施し、出生率の統制による人口抑制を展開した結果、人口増加率は低下した。

しかし一方で、戸籍上は子供を一人しか持たないようにするため、出産しても届出を行わないことによって黒孩子(ヘイハイズ)と呼ばれる戸籍を持たない子供が激増したり、貧乏な農家の子供たちが人身売買のバイヤー経由で裕福な家庭に売られるなど、新たな問題が発生した。また、統計上では総人口は約13億人であるが、黒孩子や盲民と言われる浮浪民の存在のため、潜在的な人口は15億人を超えているとも言われる[93]。また、清水美和東京新聞論説委員によると、10年ごとに行われている国勢調査では、2000年度調査は統計は13億人だったが、実際は15億人だったという。 また、急激な出産制限は全人口に占める若年層の割合を低下させた。そのため、将来少子高齢化が問題になると指摘されている。その状況に対し、政府は2015に行った第18期5中全会で、一人っ子政策を廃止した。

農民工

国内では、沿岸部など経済発展の著しい地域と、内陸部の発展に取り残された地域との格差が拡大しているため、沿岸の都市部に出稼ぎするために流入する農民(民工)が増え、その数は2017年時点で2億8652万人。2017年の農民工の平均月収は3485元(約6万131円)である[94]

言語

1990年の中国と台湾の民族言語グループを示す地図

北中国の言語に代表される北方語を基礎として若干の改訂を加えた普通話標準語としている。同じ中国語であっても、呉語粤語閩語などの異なる言語があり、かけ離れているため、かつては北京人と広東人では会話が通じなかった。しかし、建国以来の教育および放送等の普及により、若年層には普通話を話せない者は少なくなった。更に、深圳珠海などの経済特区では省外からの人口流入が激しく、広東語が解らない者が多数派になりつつある。

なお、イギリスの植民地であった香港では、北京語と共に広東語および英語も公用語となっている。実際現在も北京語を使用するものは少なく、その上に1990年代初頭頃迄は大陸から移住したものを除いては北京語のできる者はほとんどいなかった。1997年の主権返還をきっかけに北京語熱が高まっている。また澳門では広東語のほかに、ポルトガル語も使われる。

チベットウイグルなどの各少数民族はそれぞれの固有の言語も使用しているが公用語は北京語である。政府は少数民族の言語を尊重する姿勢を示しながら、中学校以上の高等教育は原則として少数民族の言語は使用せず、北京語のみで教育を行うことや、ウイグル人に対しては子供を漢民族地域に居住させて北京語で教育することなどにより、北京語を普及させる政策を取っている。